PLAYNOTEの「わからなさ」。

昔のことはよくわからないけど、お笑い番組が発達したおかげか何かで、わかりにくいもの、難解なもの、高尚そうなものに対して皆が「わからない」「無内容だ」と言い切ることの抵抗は、昔に比べるとはるかに低くなったかもしれない。たぶんそのせいで、難解なことや高尚そうなことを無反省に気分よく書き連ねる人は、少なくともWeb周りではかなり減ったと思う。もしかするとそういう人が減ったのは見かけ上だけで、実はある程度の割合で必ずいて、そういうことを書きにくくなったから物分りがよさそうにしているけど、心の底ではそういう人を寄せ付けないような高尚そうなことを存分に書きたくて仕方がない人が結構な数いたりするだろうか。よく考えれば、高尚さと面白さは独立した事象のはずなので、難解だろうと高尚だろうと面白くてたまらない文章はきっとどこかにあるという気がしてくる。面倒なのでカネゴンは探していないけど。カネゴンは昔の反省から、あからさまなまでに意図がわかりやすくて何の余韻も残らないような文章を常々書こうとしているつもりなのだけど、どうもまだできていない。