稲葉先生の「妄想の意義」。

そして哲学のいまひとつの使命は、わけのわからない問題領域に率先して突っ込んでいって派手に討ち死にし、もって実証科学の露払い、鉄砲玉の役目を果たすところにあり、その意味での哲学は、つねに負けつづける運命にある。それを空しいと思わずに受け入れられる、ある種開き直ったバカでないと、やはり哲学者としての適格性に欠けると思われる。つまり事後的に役に立つ妄想を生むためには、まったく役に立たない妄想の屍の山を累々と積み上げることが必要となるのであり、くだらない妄想それ自体を楽しめない者には、このように屍を積む仕事はつらすぎるだろう。