かわいいもの見たさに家人と皇帝ペンギンを見に行った後、書店で自由は進化する(山形浩生翻訳)という本を見かけたので大急ぎで立ち読みする【邪魔立てするとはおれカネゴン】。かなり面白そう。

で、それとは全然違うことを考える。

不老不死などありえないことがわかっていても人は不老不死を求めてしまうように、自由が実在していようといまいと人は自由を求めてしまうのだとしたらどうしよう。自由が本当にあるかどうかはともかく、それに対する欲望だけは確実にあると思う。誰もはっきり言わないだけで、実はみんなが本当に欲しいのは、責任などこれっぽっちも伴わないような自由(放埓)だったりするのかも。カネゴン自身は、完全な自由はどうやら手に入れられそうにないと諦めているのだけど。

その前に、「自由」と「すべて思い通りにする/なる」は相当な程度にごっちゃに使われているらしいことに今気付く【貴様の他にはおれカネゴン】。すげこまくんという漫画で、すげこまが「ぼくが地球の支配者になったら地球を自由にしていいんですね?」みたいなことを言ったことに松沢先生が「でもすげこまくんは、今でも十分自由気ままにいろんなことをやっているじゃない(手作りの怪獣を街に繰り出すとか)」とたしなめると「ぼくが言う自由は(松沢先生を)何もかもぼくの思い通りにするってことだ!」と言い返す場面があったけど、あれはカネゴンたちが自由というものについてこのような形で混乱することが多いということを見事に示していたような気がする。