最上先生の日記を見ていてふと思い出す。
カネゴンときどき、自分の読みたい文章や漫画だけがすべて1冊の雑誌にまとまっていたらどんなにかいいだろうということをつい考えてしまう【横着するとはおれカネゴン】。中野監督や大西祥平の文章が読むためだけに映画秘宝を買う、などの無駄をしなくて済むのではないかと。
RSSなどのおかげで、Web上では割とそれに近いことが実現されてしまっているのだけど、そうやって読みたいものだけをRSSリーダーで集約しまくって同じレイアウトで読んでみると、これが案外面白くない。
その理由がずっとわからないまま今日に至るのだけど、たぶんそのように自分好みにカスタマイズしまくった情報源を確立してしまったら最後、バイオスフィアのごとくひたすら現状を維持することが目的になってしまい、カネゴンの知らないところで新しいものが発生しているのを見逃してしまう可能性があるからではないかとカネゴン思い始める【知らせてもらえぬおれカネゴン】。