水準以上の「良いもの」は、本当にどんなときにでも無条件に「良いもの」であり続けられるだろうか。
カネゴンが一方的に心配してしまうのは、なまじ「良いもの」にばかり触れて目が肥えてしまうと、(知らなければ普通に楽しめたはずの)それ以下の水準のものを楽しめなくなってしまうのではないかと【下司が治らぬおれカネゴン】。
食べ物などでもそうで、なまじおいしいものを食べつけると、たとえば北斗の拳のような世界が到来して【指折り数えるおれカネゴン】、普通の人が食べているような水準以下の食べ物を嫌でも食べなければならなくなったときに、苦痛以外の何ものでもなくなってしまうのではないかと。
「良いもの」「便利なもの」「素晴らしいもの」が、実は非常に遠まわしな「呪い」だったりしたらどうしよう。水準をうっかり超えて「非常に良いもの」を作り出すことが、実は子々孫々への強烈な呪いとして機能してしまうようなことがあったらどうしよう【密かにどきどきおれカネゴン】。

最上さんも似たようなことを考えていた路傍の石とはおれカネゴン】。