仕事があまりに苦しかったときに衝動買いしてしまったアーント・サリーの「アーント・サリー」は、曲よりも、戸川純のライナーノーツが近年まれに見るほどのびのびした悪文であることの方がおかしくて、思わず噴き出してしまう【脳をやられたおれカネゴン】。おそらくわざとだと思うのだけど、あまりに凄いので最初の部分を書き写してみる。

79年、関西のマニアックな音楽雑誌「ロックマガジン」から編集長阿木譲の英断によって500枚限定(ノーギャラだがレコーディング批評は低予算ながら「ロックマガジン」負担)という現在のインディーズの常識からもかなり遠く、当然入手困難な状況下でリリースされたこのアルバム「アーント・サリー」はその後84年、いきなり(メジャーから発売されたレコードとCDを主に置く)あちこちの店舗に堂々と店側がプッシュしていると一目で判るかたちで再リリースされたが、当時、あがた森魚氏が自らライナーで、その件にふれており、それが、Phewには(多分他のメンバーにとっても)全く不本意であったことに対して他人事と思えぬ怒りを表明しており、数年前にPhewは「あのレコードは、日本全国まわっても買い戻したい」と発言していた位だからその憤りは察するに余りある感を抱いたものであったが、今回、更に20余年もたち、UNDO RECORDSからCDとして復刻されるに至り、昨年のライブCD(未発表。再発物でないこれも貴重な)がリリースされたときに、かつての不本意な「アーント・サリー」再発のことを思い出し、懸念したところ、明快な声で「もう、昔のことだから」と笑みを交えながら答えたのにホッとして、しかし「昔のこと」の意は決して以前の発言の様に"初期の作品を否定したい気は変わらないが"というニュアンスは含まれているようには感じられず、むしろ、現在の彼女の精力的活動、--ユニットBIG PICTURE、パンクバンドMOST等のライブ、又それらのCDおよびアーント・サリーからMOSTまでPhewの活動の長い流れを集約させる試みのような、ビデオまでもリリース--から伺える、「今」のPhewの(若いファンによる支持が証明する様に)決して過去形で語られることのない自信あるいは信念、そういった強さに裏付けられた上での「昔のこと」という、いわばあの頃のPhewを知りたいという若いファンのニーズに答える意志(かつては考えられなかったPhewの姿勢である。ので、うがちすぎなら)が彼女のルーツを知ることで、今の(アーント・サリーを知らない)支持者への、理解を深めさせる意図なのか、又は、別に深い意味は特にないが(これが最も、このアーント・サリー時代からのPhewのイメージにそれこそ深い意味で、近いのだが)、とりあえず、Phewが最近の積極的な活動の一貫《原文ママ》のひとつとして不本意でないリリースであることを前提に、筆者の様なかつてからのファンと同じく、アーント・サリーの活動当時から、或いはバンド解散直後のソロから(海外アーティストとの共同作業による大いなる活動を含め)現在に至る間のいってみれば中期の、仙人のごとく悟りを開いたかのようなまるで「禅」の境地に達したかにみえた作品を発表していた頃からファンになった方にも、「そんな方向に私が行くわけないじゃない!!」とでも言わんばかりにパンク=テクノ=ニュー・ウェイヴのアグレッシブを再び発揮し出した「BIG PICTURE」「MOST」からの若いファンの方達にも、以上今回のリリースまでの奇跡を通してPhewと彼女を支えた人々と共に、この「アーント・サリー」CD化を、是非悦んで頂きたく、前フリ長くてすみません。

これで一文なのだけど、これでも愛情が伝わってくるから不思議。