常々、「心理学」と書くより「感情学」と書く方が内容を正確に表すような気がするのだけど、今からでも変えてもらうわけにはいかないだろうか。感情学というのは残念ながら既にあるらしいのだけど、どんな内容なのか勝手かつ雑に推測してみる【ネットを汚すおれカネゴン】。

  • 感情を喜怒哀楽などとあれこれ分類しても、案外役に立たない。むしろどの研究者もそうした慣習的な分類にみごとに囚われてしまい、感情が正しく研究されないままできてしまった。喜怒哀楽は、実は互いに対等なファンクションでもなければ、これですべてが網羅されているわけでもない。
  • 感情の根源は、少なくともその一部は「つじつま合わせの衝動」にある。復讐心も、善意に報いたいと思う気持ちも、すべて「つじつまを合わせたい」衝動のバリエーション。
  • 人からものをもらうと、根拠がなくても何かしてあげなければ悪いような気にさせられるのも、つじつま合わせ。
  • 自分が憎む相手を、自分が痛い目に遭ってでも一泡吹かせたいと思うのは、つじつま合わせの最たるもの。
  • 善人(と自分が思う人)がいい目にあい、悪人(と自分が思う人)が相応の報いを受けると、人はこれ以上ないほどの快感を感じ、喜びにうちふるえる。
  • 逆に、悪人善人(と自分が思う人)が苦しむのを見ると、人はこれ以上ないほどの悲しみを感じ、悪人(と自分が思う人)が世にはばかるのを見ると、人はこれ以上ないほどの怒りを感じる。
  • 感情と微妙に違うのだけど密接に関連しているものに、「自分を守りたい/弁護したい」衝動がある。
  • 感情は意外にメカニカルに動作する。
  • 感情はメカニカルであるにも関わらず、感情に駆られるとしばしば判断が曇り、筋の通らない考えや行動に走ることがある。これは、つじつま合わせの対象の一方が、先の「自分を守りたい/弁護したい」衝動に設定されてしまうため。
  • したがって、感情そのものは意外に大した問題ではなく、つじつま合わせの対象が「自分を守りたい/弁護したい」衝動にロックオンされてしまうことの方が問題。