以前からずっと気になっていたのだけど、「自由」というものについてどれほどの価値があるのだろう【鎖と玉とおれカネゴン】。
カネゴンは奴隷主義者なので、自由がまともに定義されていないうちから自由を無条件に「善」に設定して闇雲に追い求めるより、奴隷としての幸せを追求する方がはるかに能率がよいような気がしてしまうのはカネゴンが奴隷主義者だからでしょうか【トートロトロジーおれカネゴン】。
以前の日記で「音楽に無限の自由度があってもほとんど意味がない」というような意味のことを走り書きしたのをカネゴン思い出した。たとえば、たとえば音楽の即興演奏における自由度を拡張するとしたら「メタクソな演奏から極端にうまい演奏まで」「どうしようもなくひどい音色から極度に洗練された音色まで」自由自在かつ出し抜けに変えられるぐらいのことをしないと空間が広がらないと思ってしまう【締め切り前のおれカネゴン】。