アニメ脚本家の重鎮雪室俊一インタビューより:

  • 昔の原作者は「原作を渡すというのは自分の娘を嫁にやるようなものだ。嫁ぎ先にあれこれ注文をつければ娘も不幸になる」という事をわかっていたのですね。でも、最近はそういう情勢ではなくて、非常にうるさい人が多い。特に原作をいじることに関して神経質になります。
  • (シナリオ完成までの過程としては)二通りあって、最初にそのアイディアが浮かんで、そこに持っていくのと、書いていくうちにそうなっちゃうのと。書いていくうちにそうなった方が自然なんです。最初から(自分の頭の中で)ネタがバレてて、それに合わせて書くと流れが不自然になっちゃう。
  • 箱通りにできない場合は、書いていくうちにどんどん曲がっていく。しかしお話が動き出すとどうにもならないんです(修正が脚本家にも効かなくなってしまう)。そこで最初の路線に戻そうとすると逆につまらなくなっちゃう。そのキャラクターが絶対言わないようなセリフを言わせないといけなくなっちゃう。
  • 作品で一番大事なのは入り口と出口です。入り口はシナリオ。出口は声優。この二つがちゃんとしているとだいたい大丈夫なんです。
  • シナリオで一番大事にするのは語り口なんです。同じ話でも話し方によって聞く人が身を乗り出したり、あくびしたりするんです。語り口はすごく難しくて、シナリオ学校では絶対教えられないんです。日本映画の若い人の作品は語り口が下手なものが多い。読んで面白いものと映像が動いて面白いものとは当然違うんです。そのまま写すとセリフはしつこくなるし、その辺がむずかしい。

文章における語り口や楽器における音色、歌手における声質も結局そうで、学校では絶対教えられない。これが正しいことは背理法で証明できる(もしこれらを学校で学べるなら、誰もがそうしているはず)。カネゴンはこういう、本を読んでも学べないことや人間の力ではどうにもならないものを愛します【そんなクオリアおれカネゴン】。