カネゴンが折りに触れて読み返す楳図かずお講演会より抜粋/再構成:

楳図:『漂流教室』の場合は、母性愛というよりは、むしろ、親別れ、子別れの話なんですよね
半魚:『漂流教室』については、ラストシーンで戻ったほうが、って言う読者もいますが。結局、現代に帰ることは出来ない、っていうラストシーンですよね。
楳図:そうです。だって、翔くんは一人殺しちゃったんです。自分でも、「これでもとへ戻れないんだ」というセリフもあったはずです。そこでまず、もう暗示がありますよね。
だから、へんなところへ子供たちが送り込まれてしまうんですが、一瞬、最初は、もうさんざん子供をひどい目に合わせてるとしか見えないんですけど、ですけど、その中で、子供たちが、「いや、本当はひどい目に僕たちは有っているんだろうか」、「もしかしたらひどい状態の中に一筋の希望として送り込まれたって事なんじゃないんだろうか」って、すこしづつ気持ちが別の方向に変っていくという、これがまあひとくちで言ったら、僕の『漂流教室』のストーリーなんですけど。
楳図:それでね。『漂流教室』の映画をアメリカ版でも作ったんですね。そしたら、あちらの方は、「なんで未来に行ったのか」って。「なんでのところが分かんない」って。「ここをきちんと出さないと進めない、みんな共通で分かり合えない」って言って、原因を探るところに方向が行っちゃうんですね

http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/hobby/ten/ten2.htm

見事な「逆ロスト・イン・トランスレーション」。カネゴンも、これはアメリカ人には理解できないというか、アメリカ人でなくても誰もが自分の見たいものしか見ておらず、知りたいものしか知ろうとしていないことを、しかも現実を再構成したうえでしか理解できないことを確信【そうして生きるおれカネゴン】。