個人的には

  • カール・ピアソンの死後、母数について何も事前にわかっていないということは事前分布が一様になるということを意味するとはいえないとしてベイズの定理を認めない立場のフィッシャーは、
  • 確率論を利用した推計学はフィッシャーに始まります。それまでは、いくつかの標本から得られたことはそのまま真理であるとみなされたのですが、フィッシャーは標本はあくまで標本にすぎず、真理は標本から推し計るしかないと考え、推計学の概念に到着したのです。統計的結論は原理的に絶対に真実ということはなく、ある確率で正しいだけなのです。推計学はいまだ若く未完成の部分も多いのですが、しかし、その適用範囲の広さには測り知れないものがあるのです。

のあたりでフィッシャーを断然支持したい【部分で判断おれカネゴン】。
以前も日記に書いたような気がするのだけど、「部分が全体を表していない」事例はカネゴンの文章を始めいくらでもありそうに思える。もちろん女子高生のスカートの丈のように統計に従う事例がないとは言わないけど【世界を曲げるおれカネゴン】。