市営のスポーツクラブでマシンエクササイズというものを生まれて初めてやりながら【はさまれそうとはおれカネゴン】、猪瀬直樹ペルソナ 三島由紀夫伝』をだいたい読み終わる。噂に違わず、特に前半は日本の官僚史としての側面が強く、日本の官僚支配を完成させた男として岸信介(三島由紀夫の父親と一高から東大農林省まで同期だった)についてかなりページが割かれていた。
岸信介は極めて有能な人物として描かれており、戦前にして「日本の官僚は会議ばかりでちっとも決定を下さず腐りきっている」と満州に渡って軍部の干渉を撥ね退けながら自らの才覚で満州の経済を急成長させ(それも当時としては画期的な計画経済方式で、大豆の不作以外はすべて成功したらしい)、その成果を戦前戦時中の日本にも応用して官僚体制を固め(戦後の企業労組すら岸が創設した産業報国会がベースになっていたという)、さらに戦後もそのまま同じメソッドで日本の経済を急成長させたとのことからして、システム構築とメンテナンスが得意だったらしい。こういう人にOSを設計させたらどんなものになるかなぜ誰も確認しなかったのだろう。
珍しくちゃんと二重引用。文中の「責任者たち」の一人が岸信介

チャーマーズ・ジョンソン教授は「日本の産業政策史についてもっとも驚くべき事実のひとつは、戦後の経済的"奇跡"を担当した責任者たちが、二〇年代後半に産業政策を始め、三〇年代および四〇年代を通じてそれを実行した人びとと同じであったということである。(戦前戦時中の)臨時産業合理局で最初に議論された制度及び政策と、のちの高度成長期の制度および政策とは、単なる類似以上のものがある」と注目するのだ。

対照的に三島由紀夫の父親は役所では完璧な昼行灯、その祖父も大秀才で樺太長官まで勤めていながら帝大で同期だった部下に足を引っ張られて失脚し、満州で阿片を売りさばこうとして逮捕されたり晩年には明治天皇のサインを偽造して逮捕されたりと転落の一途だったとのこと。
一方上の「劇画内閣総理大臣伝」では、満州で地元民の村に産業道路を通すために岸信介が密かに人を使って火を放って村人をどかしたり(証拠はなさそう)、鉱山で人手が足りないと地元の祭りに集まった人々を拉致して働かせたり、その鉱山で暴動が起きても冷静に労働力の不足を計算のうえさらなる拉致で労働力を補充したりして、生産性を劇的に向上させたとあった。ただし岸信介が大変な仕事熱心であることも描写されていた。この二冊で岸信介に関する毀誉褒貶はカバーできそうな予感【ちゃっちゃと済ますおれカネゴン】。
世の中の重大な問題解決の大半は、30人を殺すことで70人を生かすことが最適解になってしまったりするのだけど、こういう問題を冷静に着々と解決する人こそ有能であり、そしていかなる人でも有能であればあるほどその手はオートマチックに血塗られてしまうことを痛感【片付けられるおれカネゴン】。