講演「デフレ時代と中心市街地」。全文引用したいのを必死で我慢しなければならないほどの素晴らしい内容と痛快な語り口は只者ではなく、下手をすると経済学に影響を与えかねない【法螺とラッパとおれカネゴン】。学者でもエンジニアでもない銀行家なのに、どこか海洋生物学者または動物園の辣腕飼育係のような視線を感じる。言葉の表現力も並々ならぬものがある。

私がこういうところで話をさせていただける最大の理由は、日本の市町村にほとんど行ったことがあって、かつ市町村関係の統計数字や地域特性を非常によく覚えている、というところによるのではないかと思っております。(中略)働いているのが有名な会社ではございませんので、行った先に黒塗りの車が待っているということはございません。(中略)当然会社からはそういうお金は出ないんですが、人の金でやったことは身につかない、「アゴ足付きは金は得だが時間の損、人生の回り道」というのが、不遜ながら私の持論でございます。

今の日本における「景気改善」だとか、北陸における新幹線だとか、室蘭における白鳥大橋とか、四国にとっての3架橋だとか、地元の人が「これが来れば振興する、ないと振興しない」とおっしゃっている(いた)ものの多くは、良くて空手形、多くは単なる現状正当化ツールではないかと思っております。景気が悪いはずなのに史上最高益の大企業もある。逆に「景気がよくなったので市街地が再生した」という例はどこかにありますか?バブルはむしろ市街地の崩壊を早めたのではないでしょうか。そして、景気がいいのに市街地がまったく再生しない典型例が刈谷なのです。

逆に刈谷市に聞きたいのは、「少なくとも400年間続いた城下町・刈谷地場産業の町・刈谷って、100年後にはどうなっているんでしょうか」ということです。100年後もトヨタの城下町として生きているんでしょうか。そもそもトヨタは100年後にありますか。あると期待したいですが、今と同じように刈谷に拠点を置いていますかね。そもそも車って、100年後にもあるんでしょうか
実は町というのはやり方さえ間違えなければ何百年も、博多のように2千年、ダマスカスのように4千年でも続くものですが、個々の企業とか、(まじめな日本人の皆さんの大好きな)産業というものは、そんなに長く続かないことが多い。「まちづくりなんかやってないで、産業振興だ」と多くの方がおっしゃいますけれども、そもそも産業と町というのは、人間の歴史とともに常に昔からあるもので表裏一体、産業だけが一段偉いというのは大きな勘違いです。しかも産業というのは、100年単位でみると耐用年数が来ちゃって、なくなってしまったり、売り上げが縮んで伝統工芸化してしまうんです。ところが町というのは、うまくやれば、耐用年数の危機を乗り越えて永続的に再生できるんです。
ところが刈谷市は、ある時点で町が再生するシステムを壊してしまって、産業だけで食っていく町に変わってしまったんです。今はもうかるんですが、本当に50年後、100年後も大丈夫なのでしょうか。

にぎわっていることが、さらに人を呼んでいるのです。いまどき、SCの中のにぎわいなら人口数万人のまちでもあるのですが、市街地がにぎわってるなんていう都会のような現象は、そうそうあるものではない。だから佐世保のように珍しくそういう場所があると、皆がにぎわいを味わいに出かけてくるのです。ものを買いに来ているというより、にぎわいを消費してるんです

病院というのは実は巨大な集客装置です。よく町の中ににぎわいを取り戻すために核店舗を、とかいいますけれども、ご存じのとおり(あるいはお気づきではないかもしれませんが)、核店舗だけでにぎわいが戻るということは、これだけ大型店の増えた今の時代にはもうないです。

皮肉なことに、私が全国を回って見ている限り、景気のいいところで佐世保みたいなことが起きている例はほとんどない。それはほとんどの地権者が、店を安い賃料で貸すのではなく、とりあえず駐車場にしてしまっているからです。では駐車場はどこまで増えるか。ある先生が講演していらっしゃるのを聞いて、なるほどと思ったんですが、アメリカのヒューストン、人口350万都市圏の都心部を上空から撮影すると、9割が駐車場だというんです。1割だけ高層ビルが建っている。それを高度利用と称している。確かに土地の1割に40階建のビルが建っていれば、都市計画の紙の上では容積率400%の高度利用なのかもしれません。でも実際はすき間だらけ。誰も歩きません。

都市計画のこれまでの当然の常識、「高度利用=容積率フル利用」という常識を考え直さなければなりません。現場を歩いている私からみれば空想の世界に浸っているとしか思えない、東京の本当の都心ならいざしらずそれ以外のところではとうに住民や事業者のニーズから外れてしまっているこんな思い込みが、どうして今でも大手を振ってまかり通っているのか。それから、箱を建てたとか、道路を広げたとか、駐車場を整備した、そういうことで市街地が活性化する、なんていう実際にはもうどこでも起きていないことを、現実と勘違いするのもやめましょう。容積率ではなくて建蔽率を高め、1階部分を切れ目なく商業利用し、駐車場だの露店のない公開空地だの連続を切断するようなスペースを排除して、緊張感の切れない空間を作り上げること。これがデフレ時代の中心市街地の再建策なんです。

生きている市街地には3つの共通点があるのです。まず、そこに「住む人」がいて、かつ住んでいないのに外から「来る人」がいること。家や店がごちゃごちゃ混じっていることが実は大事なのです。両者が混ざっているようでありながらよく見ると微妙に境界線があって、住む人と来る人の動線が混ざっていない場所、つまりよくある郊外区画整理地区だとかつくば研究学園都市のような場所は、私は市街地とは呼びません。計画者の狙い通りには行かないもので、市街地とよびたくなるようなにぎわいがうまれていないからです。ゾーニングは防災上はいいんでしょうけれども、にぎわいには逆効果なんです。防災をないがしろにしろとはいわないが、二律背反のような実態はきっちり押さえておく必要がある。

その時代にどういう町がつくられたかというのは、後世2000年後の目から見てみれば、その時代の人間の心、気持ちを反映しています。青森の三内丸山遺跡に何であんなに大きい家の跡があるのか。恐らく縄文人には、大自然の中にあって人間同士で寄り集まりたいという気持ちがあったんでしょう。今我々がこんなにばらばらにつくっているのはどうしてか。ばらばらになりたいからです

ちなみに、パソコンお使いの方に一言余計なことを申しますと、これはExcelではとてもつくりにくいです。先ほどのグラフもそうなんですが、Lotus 1-2-3でつくっています。実は使ってみるとロータスの方が、グラフィックが断然きれいだし、諸事万端作業も早いというのが私の発見です

今までの議論の結論として、こういうことがいえます。仮に郊外のSCを撤去しても中心市街地はよみがえらない、と。
 なぜか。わが国の多くの町では、昭和35年頃をピークに人口が減り始め、昭和50年代に事業所、学校、公共施設、病院が郊外に出始めて、昭和60年代にはロードサイド商業が発達、平成になってとうとう郊外型の大規模SCが増え始めました。そこで、SCを強制的に閉鎖できたとしたら、市街地の人口はもとに戻りますか。ロードサイド商業はなくなりますか?覆水盆に返らず。そうはいかないわけです。

事ほどさように、皆さん、私の城、俺の箱が欲しい。これに対して、「それは間違っている。人間は人と触れ合ってこそ人間だ。第一、いつまで車があると思っているんだ」というそもそも論を吹っかける人がいます。それも正しいのかもしれない。ですが、私はやりません。なぜか。そういう人はそういう人なんですから。実際に石油がなくなるまでは車に乗り続けるんです。それはしようがないんです。「行い正しい人になって、心のふれあいを求め、町に集え!」みたいな議論にしちゃうと、絶対うまくいかない。そうじゃなくて、私の城、俺の箱を求めない例外的な人が町に来れば十分なんです。

そして、何よりももっと重要なのが一番下のこれです。以上のような策を打とうとしても、普通の地権者の協力は得られない。期待している地価、賃料がつかないわけですから。そこでこっちも、安く貸してくれる人の土地しか使わないのです。そして絶対に家賃補助をしない。個別の例外があって、家賃補助をしても害がないという場合もあるかもしれません。ですが基本的には、家賃補助をするとほかの地権者も補助が出るまで待ってしまう。かえって活用の動きを殺してしまうのです。そうじゃなくて、安く貸した人だけが儲かる仕組みをつくる。安く貸したらいいんだ、公示地価は関係ないんだ、需要に合わせた値段をつけなきゃいけないんだという経済の基本原則がわかる地権者だけを、リウォードしていくのです。

単に全国をあちこち巡って見聞を広めたとかいろんなことを知っているとかいうレベルではなく、この認識の切れ味がたまらなく素晴らしい。そしてこの認識力は、そのセンスのない一億の民がどれだけ本を読んでもカルチャースクールに通っても習得できない。