もう一つ引用。

ぼくは経歴上、数学者たちをけっこうな数眺める機会を持ってきたけど、かなり「可笑しい」人が多い。数学の才能がなければ、ちょっと「残念な人」に見えてしまうような人たちなのだ。でも、その常識的な意味での「残念さ」は、数学上ではかえって有利になっている。なぜなら、普通の人がはなっからだめだろうと思って踏み込まないような考え方・ものの見方に踏み込むことができるからである。つまり、「きっかいな」考え方が平気でできるからである。これは、「才能」であると同時に「障害」でもあるのだ、と思う。

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080124

カネゴンはついつい「才能と災いは(表裏一体などというレベルどころか)完全に一体である」と考えてしまう。
よんでますよ、アザゼルさん」という漫画から引用【手元にあるとはおれカネゴン】。

悪魔が見える!
それは悪魔使いとしての才能の片鱗である―
彼らはなぜ悪魔を見ることができるのか
常人との決定的な違いは何なのか
在るがままを受け入れる感受性?
神が与えたもうた超能力!?
いや…どれも適当ではない…
むしろ欠落している
人としての何かが欠落している者にこそ悪魔は笑いかけるのかもしれない…