あれ以来、魅入られたように「M.C.ドナルドはダンスに夢中なのか?最終鬼畜道化師ドナルド・M」を視聴してしまう毎日【崩壊するとはおれカネゴン】。
類似品もいくつか見てみたのだけど、これに勝る完成度のものは同じ作者にすらなかった。使用されているモチーフが一つ残らず極めつけにダサく、そのダサさを数百倍にパワーアップする緻密な構成は最早奇跡。繰り返しの回数もおそらく偶然なのだろうけど恐ろしく絶妙で、最大限の催眠効果を発揮している。何の極北なのか未だにわからないのだけど何かを極めてしまったとしか言いようがない。
周辺現象として気付いたのは、竹熊健太郎を除いて文化人たちが誰一人としてこの作品に言及しようとしないこと。これだけ流行ってしまったのだからその半分ぐらいは見ていると思うのだけど、もしかしたらこれについて語ったら負けというルールが暗黙のうちに設定されていたのだろうか【語って落ちるおれカネゴン】。
はらわたがよじれそうなぐらいおかしいにもかかわらず、その隙間から立ち上る底知れない禍々しさは、カリキュラマシーンのアニメ作家として知られる木下蓮三の作品をどことなく連想させる。
現代音楽現代アートの人たちが全身全霊を込めて探していたものこそこれであるとカネゴンひっそりと断言いたす。玉音放送にすら勝てる力を備えているため、この作品をもし仮に美術館で展示したら、隣で展示している美術家/音楽家が一人残らず嫌がって苦情を申し立てることが予想される【つまみ出されるおれカネゴン】。ヨーロッパの上流階級がこの作品に必ずや激しい嫌悪感を催し、全力でつぶしにかかることも。