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余談になるが、この騒動を通じて、長い間腑に落ちなかった点が理解できたような気がする。以前から「おふくろさん」という歌には一種の違和感を覚えていた。そもそも、実の息子が母親のことを「おふくろさん」と呼ぶのだろうか。体育会系の組織で先輩が後輩に対して「おふくろさんは元気か」などと言うことはある。しかし、母親を偲びながら「おふくろさん」と呼びかけるのは、いささか奇妙だ。もしや方言かとも考えてみたが、どうにもしっくりしない。さらに、歌詞が妙に理念的・抽象的だ。母親への思いは、「母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた」のように具体的であればあるほど訴求力が増す。しかるに、「おふくろさん」の歌詞には、「あなたの真実」といった具体性に欠けた理念ばかりが並んでいる。こうした奇妙さは、社会正義を追い求めた作詞家・川内康範の信条に由来すると考えると、納得がいく。川内氏にとって「おふくろさん」とは、生身の人間ではなく、悲母観音や鬼子母神にも通じる理念的な存在なのだろう。社会規範の根本にある母親的なものの崇高さ−−それをこの歌に託したとするならば、実母への思いを歌い上げた森進一に対してなぜ川内氏があれほど怒りを露わにしたのかもわかってくる。(3月12日)

http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/nikki/2007_1.htm#010

カネゴンが保証します【一も二もなくおれカネゴン】。この見解こそ隅から隅まで正しい。そしてあの騒動の間、カネゴンが知る限り、こんな重要なことを誰も指摘していなかった(川内氏をよく知る竹熊氏ですら)。世間では最後まで「あの耳毛の長い爺さんは一体何を怒っているんだ」程度にしか認識されていなかった【嗚咽を洩らすおれカネゴン】。川内康範の名誉が科学的方法論によって回復されたとカネゴン解釈します。