あまり思い出したくないのだけど、カネゴンは20年前にP-MODEL(のような音楽)を聴くことをさる筋によって禁じられていたことがあった。カネゴンのよくない部分が増幅されるからというのがその理由【ある意味ほんとのおれカネゴン】。それ以来歯を食いしばって一瞬たりとも聴かず、頭音として頭蓋内に鳴り響くことすら起きないようにと24時間態勢で警戒を続けていた【努力の向きがおれカネゴン】。
それがここ半年でついに我慢できなくなり、堰を切ったようにこの種の音楽を激しく求めるようになってしまった【毎夜求めるおれカネゴン】。
しかしそれはある意味平沢進自身もそうだったのかもしれない。初期中期のP-MODELでは人間嫌いをベースとした皮肉を発することに自他共に囚われっぱなしで、そうでない音楽を作るなど当人を含め誰一人思いもよらなかった。
当時の平沢進の場合、心の奥底では実はとってもリリックなものを愛しているのに、重症の人間嫌いのせいかそれを素直に表現することができず、荒んだ音を照れ隠しにしてそういうリリックな成分をほんのちょびっと混入させるのがせいぜいだった。人はどう思うかわからないのだけど、当時のカネゴンにはこの「Potpourri」という曲が、その耳ざわりな音とは逆にひどくロマンチックなものに思えていた。
その他にも、あまりの売れなさにやけくそで作ったとしか思えない曲や、テクノポップ呼ばわりされ続けたことに腹を据えかねたかのように手加減なしでピコピコさせまくってバッハが悶死しそうになった曲などの互いにまったく異なる音楽を量産し、それぞれ極北に達していたのだけど、どこかかすかにロマンチック成分が漏洩していたような気がしないでもない【異臭騒ぎとおれカネゴン】。
平沢進はこのような信じられないほどの遠回りを経て、やっとこの涅槃の境地に達したのだとカネゴン考えることにする。それも、文化人臭さを微塵も匂わせることなしに。ネタの尽きたお笑い芸人がシリアス路線に転換するのと似ているようで実は正反対の方法で。
正直、平沢進がこれほどの成長を遂げていたことにカネゴン感激で打ち震えてしまう【痙攣するとはおれカネゴン】。汚濁と混迷と燃えカスの中から何物にも代え難い宝が生まれるところを目撃したような心持ち。振り返ってみれば、いつの間にか坂本龍一ケイト・ブッシュやスティングよりも質・量ともにいい仕事をしている。
カネゴン今まで言い出せなかったのだけど、書いてしまう。橋大工は、どんなジャズより美しい。そして、時間と技量と機材がなかったためにサティが中途半端に開拓したままになっていて誰も手をつけてこなかった、顧みられない多くの音楽の未踏分野を結果的に開拓完了したとカネゴン考えることにする【覚悟未完のおれカネゴン】。カネゴンの中でだけ確かなのだけど、ジャズに毒されていない平沢進のメロディセンスは、相当サティと似通っている。
今気付いたのだけど、平沢進カネゴンの知る限り、これまでただの一度もピアノの音を使っていない。ピアノを使ったら負けという内部的なルールでもあるのだろうか。それともカネゴンのように、ピアノの使用をさる筋から禁じられたりしているのだろうか【ご都合よいとはおれカネゴン】。
音楽に毒(=アイディア)をつい盛り込まずにはいられないほど訓練が十分足りているため、甘い曲を作っても常にどこかよじれた感じになるのがまたたまらない。
平沢進がもし仮に、最初から美しい音楽を目指して創作していたら、決してこのような音楽が生まれることはなかっただろうとカネゴン思ってしまう。最初から美しく作ろうとして作った音楽は、ほとんどの場合、芯がしっかり入っていない、吹けば飛ぶような音楽になってしまうものだけど、汚濁の底でとことんもがき苦しんだ末に獲得した音は、他の誰かがどんなに練習しても獲得できない(または恥ずかしくて練習できない)、平沢進だけが演じられる本物の音になった。
関係ないはずなのだけど、こういうことを考えていると山岸涼子の「笛吹き童子」という珠玉の短編を思い出してしまう。才能があるのに前世で慢心したために、転生後に観音様からその才を封じられてしまった男の話。