総裁語録の一つが目に留まる【集中せぬとはおれカネゴン】。

「勝ってこそ正論は正論になる。負ければ正論もグチに聞こえる」

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kavach/sousai01.html#Anchor257931

つまり、まったく同じ文章であっても、それをどんな立場から書いたかによって、まったく意味が違ってしまうということになる。これと似た例として、エディ・マーフィーが黒人をネタにして笑いを取ることは許されても、カネゴンがまったく同じネタをぶちかましたら大変なことになってしまうというのがあったりする【ハルマゲドン引きおれカネゴン】。
機械翻訳がいつまでたってもものにならない最大の理由はこれであると考えてよいだろうか。