思い出話。
カネゴンが以前いた職場での協力関係にあった人で、Gさんという人がいた。Gさんは一種の超人で、「アキラ」に出てくる子供たちのような人だった。つまり、後ろ姿は子供のようで、振り向くと老人だった。
若い頃のGさんは九州で暴走族をやっていたが、白血病にかかって治療を米国で行ったために(たぶん1ドル360円あたりの時代)莫大な借金を負い、それを返済するために米国で(当時はまだ珍しかった)プログラマーになった。リレーショナルデータベースの基本特許に相当する特許の一つだかいくつかを取ったとかで莫大な収入を得てたちまち借金を完済。その権利はあっさり娘に譲ってしまったという。後にはフランスでミサイル発射システムの構築を手がけたこともあるという。
Gさんは月に一度、血液交換のために上京するのが常だった。つまりまだ白血病は完治してはいなかったのだけど、どんなときでも恐ろしいほど元気な人で、何十時間にも渡る会議やセッションで周りがみなグロッキーになってもGさんだけはピンピンしていて、ドスの効いた博多弁でますます元気にマシンガントークを繰り広げるのであった【とってんぱらりのおれカネゴン】。