川内康範師の教えをピンポイントで完全に理解した人物をもう一人発見。全文引用したいところを必死で堪えましたので、リンク先で一滴残らず読み干していただけると幸いです【猛烈反省おれカネゴン】。

川内康範は生涯「他人の傘になる」ことをめざしました。
最愛の母の「大人になったら他人の傘になれるような人間になりなさい」との教えによるものです。
その熱い思いは森進一の歌う「おふくろさん」の詞の「世の中の傘になれよと教えてくれた」に結実して表現されています。
「傘になれ」とは「やさしくあれ」ということでございます。
6年前、作曲家曽根幸明脳梗塞で倒れたとき、康範が激励して半身不随の曽根に「渾身の一曲」を書かせました。
その曲に詞をつけて曽根とはともに30年来の付き合いのある森進一のところに「傘になってやってくれないか」頼みに行きました。
ところが森は曲を見ることも無く冷たくあしらい、曲が世に出ることはありませんでした。
森と川内康範との確執はこのことが発端となりました。
康範亡き後半年を経て、康範の長男と森との間で和解が成立、晴れて紅白で森は「おふくろさん」を歌えるようになりました。
弁護士でもある長男氏は和解を発表する席でこんな話をされております。
「父は生前人にやさしくしなさい、が口癖でした。そしてもう一つ(許す)ことの大切さ、を話していました。そんな父がふり上げたコブシを降ろす機会のないままこの世を去ったことは、本人が一番残念に思っていたのではないかと思います。こうした和解が出来たことを、父は喜んでくれていると思います。」
戒名は「生涯助っ人」戒名不要という生前の意向もありましたが「人のために尽くす」という康範の生き方を讃えて親族らによって付けられました。
孔子さまの教えを忠実に生きた見事な男の生き方でございます。

http://www.policejapan.com/contents/muranishi/20081114/

今、正論を正面から書いてこれほど説得力を持たせられる人物が他に何人いるだろうか。かように、正論はそれを援護する表現力なしには何の力もないことを痛感。