この間の続き
カネゴンが神だった頃にはついに気が付かずじまいだったのだけど、数千年も長続きする神であるためには、どうやら「ご利益を与える神であってはまずい」ということらしい【災いだったらおれカネゴン】。
いかなる形であれ、ご利益を与えることを民衆から期待されてしまうと、アブラハムに鼻っ柱をへし折られたときと同じような揚げ足取りをどうしても避けられず、せっかく神でありながらまるで介護職のように願いごとを叶えることにあくせくするばかりで何の自由もなくなってしまう。
ジーザスや仏陀などの新しめの方々はその辺をすっぱり切り捨てることでやっと少しばかりの自由度と完成度を獲得したのかもしれない。
旧約聖書のイェホバは基本的にご利益を与える神のはずなのだけど、後ろの方の「ヨブ記」で、その辺りについてかなり悪戦苦闘した形跡があったりする。サタンがイェホバに向かって「ヨブがあんたを拝むのはあんたにご利益があるからですよ。ご利益がなかったら拝んだりなんかするもんですか」というツッコミを入れ、とにもかくにもそれに対して作者が悶え苦しみながら何らかの答えを出そうとしたのではないかと。