物理学における理論と実験の作業は、どちらかというと素朴なドローツールを使って現実という絵を「一筆書きで」プロットする作業に似ているような気がする。それも、絵を描くのに向いたベジエ曲線などではなく、見通しのよさ・扱いやすさと引き換えに絵を描くには何かと不自由な放物線/双曲線などの組み合わせで。
理論が実験結果と一致するということは、ドローで描いた曲線で現実という絵の特徴的な部分をずばり再現できた、ということと似ている。
しかし、現実全体を一発で一筆書きすることは未だにできていないし、当分できそうにもない。あくまで、現実の特徴的な部分を、まるで見事な似顔絵のようになぞったものを得られるだけ。
物理学が発展するにつれ、一筆書きに使われる曲線はどんどん精緻になり、ある一面において現実という絵の特徴を著しく捉えることができるようになった。しかしそれはあくまである一面においてのみ。異なる理論(たとえばミクロの理論とマクロの理論)でプロットされた曲線を重ねて見ると、その曲線同士は未だにどうしようもなく矛盾していて、現実を一息で完全に描ききるには至らない。これは相当じれったい作業かもしれない【気楽に言うのがおれカネゴン】。