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今頃になって町山さんのポッドキャストを数年前のものから一気に聞きまくっているのだけど【涙で追うのはおれカネゴン】、その中でリチャード・マシスンの「オメガマン」について言及していた。例によって記憶ベース。
この映画(というか脚本)や「猿の惑星」なんかもそうだし、多くのゾンビ映画もそうなんだけど、要するに「多数派/主流派が知らないうちに少数派に転落することへの恐怖」が描かれているんですよ。
一人でも多くの人にこの恐怖を味わってもらうために他のことに例えるとだいたいこんな感じだろうか【マイナー目線のおれカネゴン】。
- 主流科学がいつの間にかトンデモ科学に追いつかれ追い落とされる話
- 主流派経済学がいつの間にかリフレ派によって壁際に追いつめられる話
- コンテンツのほぼすべてがいつの間にか秋葉系エロマンガによって占められてしまう話
- 生演奏がいつの間にか宅録テクノに駆逐されてしまう話
- のびのびと若さを謳歌していただけなのにいつの間にか自分たちより遥かに多数の老人たちに何もかも吸い取られてしまっていた話
- 民主主義とかエコや自分の好きなものがいつの間にか完璧に時代遅れになってしまう話
- リストラの嵐の中自分だけはやめさせられずに済んで安堵していたら会社ごと傾いてしまった話
- 大学生のほとんどがいつの間にか全然勉強ができなくなってしまった話
- 学校の成績は抜群だったのに社会に出たら全然使い物にならなかった話
- 学生時代はスポーツ抜群だったのに社会に出たらどこにも職がなかった話
- あいつ馬鹿だよなと優越感の踏み台代わりに見下し続けていたらいつの間にか追い越され、あまつさえ主流派になっていた話
- 自分だけが一般人より優れた知力と体力と財力を備えていることをさりげなく誇っていたらいつの間にか周りをそうでない人たちにぐるりと囲まれていた話