「つまり、麻雀にせよ、何にしろ、そこにあったのはいつも「努力」ではなく「工夫」だったと思う。「工夫」があれば何事も楽しくできるのだ。「努力」をしようとすればかならず余計な力が入る。練習して上達を続けるには力が入っていてはダメだ。」
「私は道場で「勝つ」ことを求めず、「負けない」気持ちでやれと言っている。「勝つ」は人がつくりだす欲望だが、「負けない」は野生の動物がもっているような本能に近いところからくるものだ。」

http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/post-1195.html

つまるところは、リラックスするため、力量をのびのびと発揮させるための方法論なのだとカネゴン理解【圧縮しすぎのおれカネゴン】。それをこんな意表を衝く形で表現したところに、文学にこれっぽっちも毒されずに済んだ桜井章一の凄さがあるというか何と言うか【濁らせたまうおれカネゴン】。