カネゴンはついこの間までスティーブ・ライヒを聞いたことがなかったのだけど、どうやらどこかでヴィルヘルム・ライヒと思いっきり間違えて敬遠していたらしい【それはいつものおれカネゴン】。
YouTube でいくつか聴いてみて、想像以上にかっこよくて正直驚く。ミニマルミュージックはいくらでも安易な作りにできてしまうので、有象無象がわらわら湧いて出てしまっているのだけど【湧いて出たのはおれカネゴン】、ライヒの音楽は現代音楽としては珍しくかっこよさを醸し出していて貧乏臭くなく、しかも中田ヤスタカ千利休に通じるおもてなしの心がはっきりと表されている。
古ぼけた茶碗を集めただけでは茶道にならないように、適当な音を繰り返しただけではいつまでたってもミニマルミュージックにならなかったりする。どちらも言葉でいちいち説明していられないようなデリケートな細部の要素がびっしりと集積されることで全体の品質が決まってしまう。良さが数値化されていないので、足し算の発想で必殺技や飛び道具をいくら投入してもクォリティにまったく貢献しない。
いずれも一見簡単に真似できそうでまったくできないところが痛快だったりするということでよいだろうか【できずに書くのがおれカネゴン】。