以前にも書いたと思うのだけど、死んだ人にお経をあげるのは、特に死んだのが子供の場合、残された者が「何でもいいから何かしてあげたい」という遣る瀬のない思いを軽減するためなのだとカネゴン思っている。
物理現象としてはお経をあげようとあげまいと、というのが無神論の立場なのだろうけど、カネゴンに言わせれば、お経をあげた場合とあげない場合で残された人の心の落ち着き具合と心のエネルギー準位が違う【あげずに語るおれカネゴン】。ひいてはそれが現実に影響を及ぼし、あげなかった場合は残された人の後ろめたさをエネルギー源として祟りが発生する【供養の足らぬおれカネゴン】。