マルセル・デュシャン以来の現代アートを一言で説明すると「価値観の操作」、つまりバリュー・エンジニアリングということでよいだろうか【そして寝るのがおれカネゴン】。物を作り出す必要すらなく、口先だけで価値観をああしてこうしてしまえば後は一生講演会で食っていけるというか何というか。
なので現代アートの人々は何とかして一種のセキュリティーホールとも言える価値観のほつれを見つけては片っ端から引っ張りまくってセーターを台無しにしまくってきたものの、一発ギャグと同様に同じ手が二度と使えない業界に付き、今はもっぱら見る人を怒らせる方向に持っていくしかやることがないというか。