この間の続き。
ということで、もし人間から悪や悲惨さが決して生じ得ないような仕組みが最初からあったら、人間社会が成立するどころか、それ以前に生命というもの自体、成立しないだろうと思う。信じられないほど悪い奴が生まれて世にはばかる可能性を元から絶とうと思ったら、人類一人残らず手に手を取り合ってニルヴァーナに旅立つしかないのかもしれない【見送る側のおれカネゴン】。
逆に言えば、こういう最上から最悪まですべての可能性がもれなく射程距離に含まれたその瞬間から、生命が成立したのではないかとカネゴン勝手に思ってしまう。人を殺せない包丁は料理にも使えないというか何と言うか。
なお、信じられないほど悪い奴が生まれて世にはばかる可能性があることと、それを放置することは別問題だったりする(当然、放置するわけにはいかない)ことは三浦先生も保証してくれている【権威を好むおれカネゴン】。

あれほど大量生産した小池一夫ですら「泣ける話」を一度も書けなかった(少なくともカネゴン小池一夫の劇画で泣いたことがない)ことを根拠に、「泣ける話」を書くことの難しさを推測するカネゴンでした【またもよそ見のおれカネゴン】。
物語の中で人が死んだら泣けるとは限らないし、つらい別れを描いたら泣けるとも限らない。焦って登場人物をどしどし殺すと逆に笑いを取ってしまいかねない。かと思うと、泣ける話をやすやすと書ける人がいたりする。カネゴンほど単純ならともかく、一般に泣きのスイッチは簡単に押せそうでいてなかなか押せないらしい。泣きのツボを確実に打つための一般理論を構築した者は、世界の王になる。