かなり前、ベルグソンの「笑いについて」という本を頑張って読んでみたことがあるのだけど、(おそらく翻訳の固さで)その本自体がちっとも面白くない上に、機転の利いた面白いことを言えるようにもなれなかった【クラスの隅でおれカネゴン】。笑いの種類をあれこれ分類しているのだけど、笑いを分類してもネタが捻り出せるようになるわけではなかったりする。
笑いについての理論は、未だに色川武大この一言を超えるものをカネゴン知らない。

笑いを堪えられないほどおかしくてたまらないことは、実は最も恐ろしいことでもあるのだ。

西洋風というかアメリカンな物の考え方のあちこちに、「対象をとことん分類しきったらそれだけで理論になる」みたいな信念をやたらと見かけるのだけど、カネゴンにしてみれば、笑いを自動生成するのに役立たない笑いの理論は笑いの理論たりえないし、優れた音楽を(人間が関与せずに)無限に紡ぎ出すことのできない音楽理論はどことなく本当の理論ではないように思えてしまう【強弁するとはおれカネゴン】。