西洋風というかアメリカンな物の考え方のあちこちに、「対象をとことん分類しきったらそれだけで理論になる」みたいな信念をやたらと見かけるのだけど、カネゴンにしてみれば、笑いを自動生成するのに役立たない笑いの理論は笑いの理論たりえないし、優れた音楽を(人間が関与せずに)無限に紡ぎ出すことのできない音楽理論はどことなく本当の理論ではないように思えてしまう【強弁するとはおれカネゴン】。