面白いほどよくわかる 世界の軍隊と兵器―アメリカの世界支配と各国の勢力図を読む (学校で教えない教科書)」は、2000年以降の軍事情報を概観するのに非常によい。誤植が多いのが残念。日本の隣りの半島関連ニュースで一喜一憂する前にこれを読んでおきたい【騒ぎは得意のおれカネゴン】。遠からぬうちに、経済学と軍事が不可分なほどに強く結びつく日がくることを確信。

同書で見かけた以下のエピソードは本筋の軍事情報とは関係ないのだけど、ついこの間のできごとでありながら、そのまま旧約聖書に収録してやってもよいほど時代劇または昔話としてよくできた話【「やっても」などとはおれカネゴン】。おそらく、エジプト側が(嫌味も兼ねて)旧約聖書を参考に立てた作戦だと思う。意外かもしれないけど、旧約聖書は軍事情報もきわめて豊富で、熱心に描写されている。

1973年、イスラエルと敵対していたエジプトは、ナイル川流域で大々的な軍事演習を行う。軍事国家としては珍しく演習の様子を報道陣に公開し、多くの観客が見守る中、スエズ運河渡河訓練が実施された。演習が終わって夜になると、戦車隊は隊列を組んで駐屯地に戻った。
イスラエルはこの訓練をうかつにもまったく気に留めていなかった。
しかしエジプトは、演習のたびに駐屯地に戻る振りをして、実は少しずつ火砲や車両をスエズ運河付近に隠していた。戦車はわざわざ土に埋めるほど念を入れていた。
そして10/6にエジプト軍は不意を衝いて総攻撃をかける。土に埋められた戦車が続々と姿を現し、計2000門もの火砲がスエズ渡河を支援した。イスラエルは当初演習と誤認したため初動が大幅に遅れた。しかもエジプトは巧妙にもシリアと秘密裏に協定を結んでいて、同時刻にシリアもイスラエルに侵攻した。
かくして、エジプトのスエズ運河渡河は成功する。にもかかわらず、アメリカの支援を受けているイスラエルを屈服させることができなかったというオチがつく。

イスラエル国民皆兵で、女性にも兵役義務がある。
1971年、エジプトは爆撃機50機によるイスラエル侵攻を計画した。これを察知したイスラエルは国民に大動員をかけるが、結局エジプトは攻撃を行わなかった。
その後もたびたびイスラエル侵攻が計画され、そのたびに国民が動員されて大騒ぎになるが、一度もエジプトは侵攻してこなかった。
度重なる動員令にイスラエル人民は不満を抱き、イスラエル政府は1973年に動員方式を改定した。
その途端、今度は本当にエジプトが同年10月にイスラエルに攻め込む(上の総攻撃と同一らしい)。動員令を改定したばかりのイスラエルは見事に裏をかかれ、初動がまたしても遅れた。
これにこりて、イスラエルは再び動員令を元に戻す。

1991年の湾岸戦争時、イスラエルイラクからのスカッドミサイル攻撃を受けたが、アメリカはイスラエルに「頼むからイランには反撃しないで欲しい」と打診。イスラエルが独自に戦闘行動を取ると、アメリカの戦術の邪魔になる可能性があったため。
そしてイスラエルは本当に我慢し、反撃を行わなかった。湾岸戦争終了後、アメリカは褒美としてF-16戦闘機を50機もイスラエルに現物支給した。

【とっぺんぱらりのおれカネゴン

科学者は本当に自然の美を愛し、人工の美を敬遠するものなのだろうか【あまのジャックのおれカネゴン】。
カネゴンは、この世には人工の美しかないとこっそり思っている。人工の関与しないナマの美というものは、見たくとも見ることができない(もし見てしまったら莫大な情報に押しつぶされて発狂する)。イスラエルの民が、敵に作戦がバレバレであっても旧約聖書から離れてものごとを考えることができないのと同じく、カネゴンたちは自分たちを型にはめ続けている文化から逃げ出すことはできない。
「型にはめる」ということは情報量を劇的に減らすということであり、それによってカネゴンたちは情報の消化不良に陥らずに済み、近隣の民族をひとくくりにして考えるという思考の節約を行うこともできる。
自然の美だと思い込んでいるものは、実は銭湯の富士山の絵やら葛飾北斎やらの経験があり、その経験に合致するものをたまたま美と呼んでいるということでいいだろうか。カネゴンたちは、空間的には目に映るものの構図やキマリ具合をついつい考えてしまい、時間的にはあらゆるものごとをついついストーリーに仕立ててしまう。