ニュートラルで、近松門左衛門原作「曽根崎心中」(主演:梶芽衣子、宇崎竜童)を見る。素晴らしい。まさに「ロミオとジュリエット」に匹敵する完成度の高さ。近松シェークスピアと同時代なのであろうか。おやっさん梶芽衣子の演技のうまさに舌を巻く。花登匡もどおくまん藤本義一も、なにわど根性のルーツはまぎれもなくここにある。カネゴン梶芽衣子が啖呵を切るシーンでつい泣いてしまう。人情ものには目がない故、許せ。何にしろこんないいシナリオは教科書に載せるだけではもったいなさすぎる。

芝居は別にリアルである必要はないのだなあと何となく思う。曽根崎心中はシナリオが世界遺産なので時代がかったセリフのみで構成されているが、それでも問題なく「乗れる」ことがわかった。何と言うか、遊園地で戦隊ものなんかのアトラクションショーを見ていて、最初は「頭がでかいなあ」「足が短いなあ」とか「うそくさいなあ」とか思いつつも、見ているうちにその空気に引き込まれて大人も子供もだんだん興奮してくるような、そんな感じであろうか。

そうすると、芝居を成り立たせるエッセンスとは果たして何なのだろう。と、ここで「エッセンスを求めようとする行為」自体に何か問題があるような気がして、いてもたってもいられなくなった。要するに「○○さえあれば」「やせてさえいれば」「お金さえあれば」みたいなものの考え方、これは案外根が深いものなのかもしれない【近松はどうしたおれカネゴン】。