ε-δ論法は、現在は冷や飯を喰わされがちな「可能無限」の立場から説明されていると理解しているのだが、合っているだろうか。結局「その気になればどこまで近づけてもいい」という説明をするしかないのだとしたら、何が何だか。極限を使わずに微分を定義することは何となくできそうだが(接線を表す曲線ということにしておけば)、積分はどうも使わざるを得ないような気がする【何が何だかおれカネゴン】。