繭(高校生)の頃のカネゴンは、今で言う引きこもりそのものの状態だった。当時はそんな言葉はなかったけど、なくて本当に良かったと思う。言葉または概念が作られると、それを後追いするようにその患者が増える逆転現象は精神医学でしばしば見いだされる。そんな流行に乗せられるのはあんまりだ。本人にしてみても、そういう言葉があると自分を位置づけやすくて逆に安心してしまうからだろう。カネゴンに病名は与えられなかったのは本当に幸いだった(当時は医者の怠慢だと思っていた)けど、医者がそこまで考えていたかどうかは今となっては定かではない。

当時はとにかく表に出ることができない状態で(今思えば単なる自意識過剰)、東海林さだおがエッセイで「顔では苦労してきた。このままでは表に出られないとすら思ったことがある」と書いていたのが当時のカネゴンにとってものすごく痛かった。結局、そんな状態で辛くも合格した国立大を一方的に蹴って、1年間住み込みで新聞配達をしながら予備校に通うことにした。仕事として他人に顔を合わせずにはいられない状態を強引に作って、なおかつ実家から遠く離れた東京/埼玉県境に住み込みすることで退路を断ったつもりだった。結局一人でいる安心より、「このまま行ったらどうなってしまうのだろう」という恐怖の方が勝っただけかもしれない。当時は「これさえ治ってくれれば、もう他に何も欲しいものはない」と真剣に願っていた。対人恐怖が治るにはさらに数年を要したのだけど、それだけ注力してもこの程度のカネゴンにつき、もう少しましな方法はなかったかと未だに思う。周りにも迷惑をかけっぱなしだし。そんなこんなで、繭の頃のカネゴンはろくすっぽ数学を学ぶことができず、その方が今となっては痛恨【思い出話のおれカネゴン】。