そう思うと、泣ける話というのはいいメロディーにも似て、それを作り出すのに一見テクニックが使えそうでそうではなかったりする。武論尊は「俺は難病の少女の話が臆面もなく書けるぜ」と言い切っていたし、宮崎駿手塚治虫が「ここはこうすると客が泣くんだ」と言ったのにカチンときて、手塚治虫の追悼文にまで書いていたいたのは有名な話。泣ける話をデザインパターン化する試みはヴィクトル・ユゴーのみならず古今東西常に行なわれているのだけど、山崎豊子のようにそれをできる人は実際には限られてしまう。真珠の涙のスイッチを押すのは簡単にはいきそうにない。

それにしても、同じ話でも話し方によって笑い話になったりホラーになったり泣ける話になってしまうのは実に不思議としか言いようがない。カネゴンが一時カウンセリングを受けていたとき、カネゴンが真剣に悩みを話すほどに医者が吹き出すのを見て、頭に来て二度と相談するものかと思った【相談下手なおれカネゴン】。あれ以来精神医学ヘイトを誓うカネゴンは、「サイコドクター」読んでません。