生物学者人工知能関係者による生命の定義を見ているといつもまだるっこしくて仕方がない。腐るかどうかは生命の定義にとってあまり重要ではない気がしてしまう。2000年前にナザレにやってきた人が「わたしは生命です」と言ってのけた、あれに匹敵する定義でなければカネゴンはとうてい納得できない【あっちで一人でおれカネゴン】。何にしろ、生命を材料で定義するのはかなり無理がある。