ドンキホーテを読んで泣きそうになる。善人の数だけ悪人が必要なように、謙虚な人の数だけ思い上がった人が必要になるように、奴隷の数だけ主人が必要になるように、賢い人の数だけ馬鹿が必要なのだろうか。何だかカネゴンは生きることを許してもらったような心持ち【引き寄せるでないおれカネゴン】。

かつて、馬鹿はどれだけ物を知っていようと「物を知っている馬鹿」にしかなれず、どれだけ智力を鍛え上げても「考える馬鹿」にしかなれないことを知り、カネゴンはのたうち回りました【嘆くがよいぞおれカネゴン】。馬鹿はおじいさんのコブでもなければプロパティやクラス変数のようなものでもなく、DNAや魂同様、決して馬鹿のエキスを抽出できないことを思い知る。その一方で、常日頃馬鹿に悩まされるとこぼす賢い人達は、世の馬鹿が一人残らず賢くなったら果してうれしいと思うのかどうかを一度聞いてみたい気もする。