列車の人身事故が後を絶ちません。鉄道会社は何故ホームに柵を設置しないのでしょうか。回答者さんが読んでみて、一番納得のいく説明が書かれたページを紹介してください。(おなじみsvnseeds’ ghoti! 経由)

最近不思議に思ったのだけど、各種行政機関その他で手に余るような問題が発生したときに、どうして何が何でも担当者たちだけで解決しようとするのだろう。「できません」と言ったらお家取り潰しになったりするとも思えない。ナポレオンが食料保存法を懸賞付きで募集したときみたいに、手に余ると思ったらさっさと懸賞にかけてしまえば、全国津々浦々が前代未聞のお祭り騒ぎになり、社会に参加しているという実感も湧いてきたりしないだろうか。担当者もそうやって楽をすればいいと思う【おぬし以外はおれカネゴン】。カネゴンは自分の問題解決能力に自信が持てないので金さえあればいつでもアウトソースしたい。このシステムに抑止力を与えるために、やはり失敗した場合に日本古来の打ち首執り行わないといけないだろうか。

それともこれを実行すると、国会も大半の官公庁も特殊法人も廃止して懸賞の運営だけ行っていればいいことに気付いてしまい、不要になった多数のエリートが失業してしまい、関連するあらゆる既得権が破壊されて泣きを見る(うそ泣き含む)人が続出し、民主主義よりも迅速かつ的確に問題が解決されてしまって予算も節約できて面目が立たなくなり、お腹が空いたらふらりと現れては問題を解決して糊口をしのぐさすらいの政治家(副業でハッカー)とかが出現してしまうので古来禁じ手とされているのだろうか【反逆するとはおれカネゴン】。

条件の範囲内でその問題が解決できない場合は、それを厳密に証明するだけでも可。聞きかじったところでは、数学の場合、ある問題が「可能である」と証明されるよりも「不可能である」と証明される方が実りが大きい場合が多いとのことなので、新たな分野が開拓される可能性につながるかもしれない。