元文の改鋳。そういえば吉宗のあだ名は「米将軍」というぐらい経済の悩みに直面していたと習ったような気が。

1736年の「元文小判」は、金の含有率を下げて、通貨量を増やして景気をよくすることや、米価引き上げを目的として鋳造されたものです。この政策は功を奏して景気もしだいに良くなり、「元文小判」はその後80年間にわたって流通します。
従来、金の含有率を下げて、その差額分=出目(しゅつもく)を幕府の収益にすることがねらいだったとされてきましたが、上記のとおり歴史的な評価が変わってきています。

最近この政策の評価が変わっているらしい。当時経済学などどこにもなかった頃によくやったと思う。理論らしい理論がないということは、ほぼ現場の感覚で貨幣を改鋳したということなのだろう。ふつう「改鋳」というと金の質(比重)が落ちてその貨幣が嫌われ、いいことがないと聞いたような気がするのだけど、当時の日本は藩札もそれなりに流通していたから、貨幣の抽象度も上がっていたのかも。

この改鋳を進言したのは荻生狙徠らしい。儒学者だから漢文ばかり読んでいるかと思いきや、経済政策を成功させていたとは。紙幣の先輩(マルコポーロが元で紙幣を見てびっくりしたという話があるぐらい)である中国でそういう前例があったのを読んでいたかも。一流の学者は分野を問わないことを痛感。