現代音楽の極端な例。「生きているメスクジラによじのぼって中へ入る」「5年間片目をえぐり出したままじっとしている。5年たったらもう片方の目をえぐり出す」は有名どころ。

面白いのは、以後この種のアイディアがほとんど続かなかったこと。仮にあらゆる楽曲を集めて一種の有限集合と考えた場合、その外側で現代音楽によってこんな風に激しく拡張された集合の方が遥かに大きいような気がするのだけど、そちらの空間は思ったより豊かでなかったということでいいのだろうか。それより、果たして楽曲を集合と考えることに問題はないだろうか【きっとありありおれカネゴン】。譜面のようにデジタイズされた形である限りは集合と考えても大丈夫そうだけど、それが実際に演奏されるとなると何だかその範疇に収めてはいけないような気がしてきた。集合を拡張したものよりカバー集の方がはるかに豊かに思えてくるので。