カネゴンの大の苦手の一つに「怒る」ことがある。カネゴンだけが天国に行けないのと同様に、カネゴンにだけは怒る資格などないような気がして、カネゴンの怒りは常に見当はずれでどこにも正当性がないような気がして、相当無礼なことをされてもかなり長い間気がつかなかったりする。そして一度それに気がつくととめどがなくなったりする。内田裕也のように怒りをその場でストレートに表すことをしなくても、怒りをすぐにその場で感じられる人がうらやましいと長い間思い続けている。怒っている人は自分が怒っているということをありありと自覚できているはずと推測できるのだけど、カネゴンはそれすらおぼつかず、あまりに不慣れなために「もしかすると自分は怒っているのだろうか」と確信が持てないまま延々と自問自答を繰り返すはめに。こういうことは一体誰に相談すればよいのだろう。どこに行ったら訓練できるのだろう【草津の湯でもおれカネゴン】。