「国語の授業では国語力は身に付かない」などなど

この間「ご近所の底力」を見ていて思ったのだけど、以前の理想の国語教科書にも書いたとおり、契約書を書く能力と、契約書の表面上の言葉に隠された本音を読む能力が最終的に身につかないと国語の授業の意味がないような気がする。おしなべて神も悪魔も契約しろしろとカネゴンに迫ってくるので【ローンを背負ったおれカネゴン】。