本多勝一例の本で、文章における形式上の「紋切り型」を執拗に責めたてていたのが気になる。たった今も使ってしまったぐらいカネゴンは紋切り型の表現が大好きで、隙あらば使ってみたくて仕方がないほどだったりするのだけど、なぜそんなに紋切り型がいけないのかが逆にわからなくなってきた。新聞記事で変に独創性を発揮しなくても、競馬新聞や株式新聞みたいに事実とデータだけ掲載していれば、紋切り型どころかどんな余分な文学的表現も入る余地はないと思うのだけど、そういうことを言ってはいけなかったのだろうか【砲撃目標おれカネゴン】。

「日本語は世界で最も美しい」「いやそういう考え方は間違っている」というやりとりはサインカーブ並に周期性をもって勃発するけど、単に日本には日本語にうるさい人が多いというだけだったりしたらどうしよう。もしかするとヨーロッパみたいにいろんな言語が入り混じっているところでは、滑らかな翻訳とかそういうものをはなから諦めていて、そんなものよりテレパシーの方が欲しくて仕方なかったりして。