ふと気が付くと、色川武大がエッセイの中で自分のフェイバリットとして挙げる小説は、なぜか海外の小説ばかりだった(フォークナー、「アンクルトムの小屋」など)。これだけを見れば外国が小説好きなのかと思ってしまいそうになるのだけど、カネゴンが夢想するに、これは日本の小説について好き嫌いを言うとほぼ確実に言い争いになってしまうがために、そのことを極めて巧妙に避けていたのではないかと思う。おそらく博打の経験から、色川武大は敵を作らないことを最大のモットーの一つにしていたはずなので。

そして本人もそうは書いていないけど、きっと本当は、この世に完全無欠な小説など一つもないし、今後も永久にありえない、極限と同様、ただそれに永遠に近づくことだけができると、こっそり心の底では思っていたのではないかとカネゴン勝手に思う。