スマトラ島沖大地震で観光地に幽霊が

死んだ人は、それを思い出してくれる人がいる限り完全には死なないというか、生命が半分残っているとカネゴン信じている【夏がくるたびおれカネゴン】。誰も思い出してくれなくなったとき、その人は真に死ぬ。それが証拠に、死後2000年経ってもまだ生きている人がいる。なので、墓は死者が思い出してもらうための外部ストレージであり、骨壷に入った舎利はマイクロカーネルであり、仏壇はリモートアクセスのためのコンソールであり、遺影はさまざまな思いが投影される液晶モニタであり、墓参りは死者の命を補強するためのメンテナンス行事なのだと思う【夜は墓場でおれカネゴン】。
ふと思ったのだけど、有名になりたい人がこれほど多いのも、ひょっとしたら不滅の命を授かるかもしれないと考えてのことだったらどうしよう【先は短いおれカネゴン】。実際にはほとんどの有名人も流行の波に(下手をすると生きたままで)飲み込まれ、浮かび上がってくることはないのだけど。みんなが鬼のようにブログを書いたりはてなのキーワードをいじったりするのも、実は少しでも生命を長らえたいのだとしたらどうしよう。気のせいかもしれないけど、学問でロングヒットを飛ばす方が長持ちしそうではある。

それもこれも覚えててくれる人あっての話なのだけど、考えようによっては、すべての生きとし生ける人々は無意識のうちに、それ自体が多数の死者を祭る(生命維持装置としての)墓としても機能していると言えるわけで、そう考えるといてもたってもいられないとは思いませんか【どこかにすっ飛ぶおれカネゴン】。