理由は知らないのだけど、川内康範師は常に自らを俗徒と名乗る。おそらくは「(寺の出身だが)出家していない」という意味なのだと思うのだけど、カネゴン解釈では、「俗でないふうにものを考えることもできるが、あえて俗なものだけをベースにものごとを考えると誓った」という意思表明のように思える。カネゴンが適当に出したお話には仕返しがよく似合うという結論も、実はこれが元だったりする。
相当読み込むまで小池一夫色川武大の俗っぽさに気が付かなかったカネゴンなのだけど、こうしてみれば小池一夫色川武大川内康範の子供たち、ひいてはギリシャ神話の子々孫々みたいなものだったのかもしれない。