神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

私たちはピアノを弾くだとか、火をおこすだとか、熟練を要する作業をする際に、自分が何をしているか考えてしまうと、うまくできない。

カネゴンは繭(高校)の頃、自分の歩き方がおかしいのではないかという考えに囚われてそれが止まらず、それを直そうとするとますますぎくしゃくして、竹中直人の演技のような不自然極まる歩き方にまで追い込まれてしまったことがあった。それを直すためには「自分が歩いているということを完璧に忘れ去る」ことがどうしても必要で、それを最初はどうやっても意識的に行わざるを得ないという矛盾がなかなか解決できなかった【手伝う気にもおれカネゴン】。
十五年後、歩き方は相変わらずメタクソだったけれど、そのことをいつの間にか忘れていた。