昨日モスバーガーで新聞を読んで思ったのだけど、たとえば中国のような広大な地域で、経済の弱い地域と強い地域で通貨を細かく変え、1つの国が(元No.1、元No.2みたいな)複数の貨幣を使い分けるようにしたら経済上のメリットは生じるのだろうか【箸にも棒にもおれカネゴン】。一応変動相場制が前提。それとも何にも変わらないだろうか。それともカネゴンの気付かない重大な副作用があったりするだろうか。
日本でも、たとえばさびれた温泉街のような競争力の弱いところを低レート通貨に割り当てたりしたら、そこに遊びに行くだけで所持金の金額が増え、秘宝館などに余分にお金を落とすようになったはいいけど、そこで稼がれたお金をそのまま地域外に持ち出すと目減りしてしまうので、もっと率のいい交易を経由してお金を持ち出すようになり、国内の地域間でもますます交易が盛んになったりするのだろうか。
これがうまくいったりしたら通貨の割り当て地域がどっと増え、それとともに為替レートを持つ地域がますます狭まって町単位村単位から家族単位、しまいには個人単位になったりしてわけわからなくなったりするだろうか【意味がないとはおれカネゴン】。コンビニや100円ショップで買い物をするときですら常に自分用の為替レートを適用するような世界を仮想したとき、それは一体どんなところなのだろう。勢いで書いてしまったけど、個人単位の為替レートの意味はまずないだろうと思う(「この100円は一万円のつもり」と思っているのと変わらないので)。