またしても恐縮だけど、色川武大がかつて書いていたことを記憶から【またまたそれかおれカネゴン】:

私がドロドロになって博打を打っていた若い頃というもの、これは限りなく自由な状態なのですが、その代わり、孤独の深さにも限界がない。誰も自分を守ってくれたりなんかしない。他人と、隔意なく口をきくことがないんです。
そんな頃、博打に疲れた私が、ある晴れた日に小学校の校庭の片隅に座っていて、どこからともなく小学生たちの唱歌とオルガンの伴奏が聞こえてくると、不意に鼻の奥に嗚咽がたまって、自分でもびっくりしたことがあります。

世にあるフリーランスの職業にはことごとくこうした宿業が付きまとい、決して取り除くことなどできないという理解でいいだろうか。カネゴンはこの文脈でのみ、この業を背負った場合にのみ、自由という概念が存在することを認めます【渋々するとはおれカネゴン】。