突然思ったのだけど【毎度の突然おれカネゴン】、バッハが数学的だとしたら、その手法を使えばどんな人でもバッハのような曲が作れるはずなのに、世の誰もそうしようとしていないのはなぜなのだろう【する気もないのにおれカネゴン】。
むしろ、だからこそ、誰もやらないのかもしれない。バッハの手法を使うと、何をどうやってもバッハの味付けになってしまい、中途半端な自作のモチーフなどすべてかき消されてしまって自尊心が傷つくからかもしれない。普遍性の高い手法から普遍性のないものが生まれてくるところが、バッハの味付けが濃すぎるゆえんなのかも。もしバッハの手法を堅持しながらそれを完璧に叩きのめし、紛れもない自分の味を出すことができる者がいたら、世界の王にはならなくても何かの王になる【王を目指せぬおれカネゴン】。